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『琅琊榜(ろうやぼう)~麒麟の才子、風雲起こす~』、完走した? あの最終回、ティッシュの箱を空にする勢いで泣いちゃった人も多いんじゃないかな。
僕もその一人。でも、ただ悲しいだけじゃなくて、あの結末には深い意味が込められてるんだよね。今回は、梅長蘇の最後の選択と、あの結末がなぜ「完璧」だったのかを、友達と語り合うみたいに、熱く掘り下げていこうと思う!
ぶっちゃけ、『琅琊榜』の最終回って完璧すぎない?
まず言いたいのは、ドラマ版の結末は本当に見事だったってこと。原作にはないアレンジが、物語をさらに深いものにしてくれたんだ。
特に、梁帝と梅長蘇が直接対決するシーンは鳥肌ものだったよね。 梁帝が、かつて親友だった林燮(りんしょう)とその息子・祁王(きおう)を陥れた理由を、ついに白状する場面。
「この天下は、一体あいつらのものか、朕のものか!」
この叫びに、彼の嫉妬と恐怖が全部詰まってた。でも、それに対する梅長蘇の答えが、この物語のすべてを物語ってるんだ。
「天下は、そこに住まう万民のものです」
そう、梅長蘇の目的は、単なる個人的な復讐じゃなかった。彼が見ていたのは、私利私欲にまみれた時代を終わらせて、民のための新しい世を作ること。だからこそ、まっすぐな心を持つ靖王(せいおう)を選んだんだよね。
なぜ梅長蘇は「林殊」として死ななければならなかったのか?
ここからが本題。そして、一番泣けるところ。 すべての目的を果たした梅長蘇は、なぜ穏やかな余生を選ばず、戦場へ向かったのか?
謀略家「梅長蘇」の苦悩
思い出してみてほしい。梅長蘇は、病弱な体で陰謀を巡らす自分自身を、本当は嫌っていたんだ。
「この手も昔は弓を引き、荒馬を乗りこなした。なのに今は、この暗い地獄で策略を巡らすことしかできない…」
親友の靖王が策謀を嫌っていることを知っているからこそ、その苦悩は深かったはず。 彼の本当の姿は、謀略家・梅長蘇じゃない。金陵で一番の輝きを放っていた少年将軍、「林殊(りんしゅ)」なんだ。
最後の最後で取り戻した「本当の自分」
そんな時、国境に敵が攻め込んできた。 朝廷が混乱する中、彼は決意する。残された命のすべてを燃やしてでも、国を守るために戦場へ行くと。
医師の藺晨(りんしん)が激しく反対する中で、彼が叫んだ一言。
「だが、私は林殊だ」
このセリフに、涙腺が崩壊した人も多いはず。病弱な謀士「梅長蘇」としての役割は、赤焔軍の汚名をそそいだ時点でもう終わったんだ。 最後に彼が選んだのは、国と民を守る武人「林殊」として、一番自分らしくあれる場所で燃え尽きることだった。それは、彼にとって最高の幸せだったのかもしれないね。
もしも梅長蘇が生きていたら…?考えたくない「その後」の話
「でも、生きていてほしかった!」って思う気持ち、すごくよくわかる。でも、ちょっと冷静に、政治的な視点で考えてみようか。もし梅長蘇が生きていたら、どうなっていたかな?
中国には「鳥尽弓藏、兔死狗烹」って言葉がある。「鳥を獲り尽くせば弓はしまわれ、兎が死ねば猟犬は煮られる」って意味。つまり、用が済んだ功臣は邪魔になるってこと。
- 知りすぎた男: 梅長蘇は、靖王が皇帝になるまでの裏の策略をすべて知っている。新しい皇帝にとって、それはあまりにも危険な秘密だよね。
- 強すぎる影響力: 彼の知略と、彼が宗主を務める巨大組織「江左盟」の力は、皇帝すら脅かしかねない。
- 新しい朝廷の火種に: 彼がいれば、彼を慕う者と、彼を妬む者とで、また新しい政争が始まってしまうかもしれない。
悲しいけど、梅長蘇が「林殊」として戦場で散るという結末は、彼自身の誇りを守り、靖王との美しい友情を永遠にする、唯一の方法だったのかもしれない。
靖王が新しく編成した軍に「長林軍」と名付けたラストシーン。 それは、林殊の意志を受け継ぎ、彼と共に新しい時代を創っていくという、靖王の決意の表れなんだ。
梅長蘇の体は滅んだけど、彼の魂と理想は、確かに生き続けている。そう思うと、あの悲しい結末も、少しだけ温かいものに感じられないかな?